こんにちは、2歳の愛娘チャプちゃんの育児奮闘中のにゃー将軍です。
自分のやる気スイッチが簡単に押せたら、もっと色々頑張れるはずなのにな~とか思うんですが、そういえば昔読んだ本でこういう考え方もあったなぁと思い出したことがあるので、それについて書こうと思います。
良い演技をするための指南本
にゃー将軍は以前演劇の学校に通っていたのですが、そこでは自分の体を楽器のように日々メンテナンスすることが、良いパフォーマンスをする上でなくてはならないことだと口を酸っぱく言われていました。
そのメンテナンスとは、ストレッチをしたり筋トレをしたり発声練習をしたりという、外側の部分ももちろん重要ですが、内面である心の部分も、今どういう状態か見極める目を持って、その状態に自分で嘘をつかないようにすることが大事だと言われていました。
その心のメンテナンスのやり方の一つとして、「NEED」という本をその学校の先生には激推しされていました。
読んだのが10年以上前なので、ちょっとうろ覚えなところがあるのですが、簡単に言うと「人は5歳ぐらいの頃に経験した、すごく悔しかったり悲しかったりする出来事を強烈に覚えていて、それを取り返す為に生きている」というような考え方だったと思います。
「すごくすごく欲しかったのに手に入らなかったもの、それは自分がもっとこういう人間であれば手に入れられるはずなんだ。だから自分はどうしてもそういう人間にならなければいけないんだ!」
みたいな感じです。
例えば、
「前は仲が良かったはずの両親が喧嘩ばかりするようになり、ついには離婚することになってしまった。自分はパパとママとずっと一緒に楽しく過ごしたいのに。自分がもっとひょうきんな子でパパのこともママのことも笑わせてあげられれば、みんなが笑顔になって、また元通り仲が良かった家族に戻れるはずだ!」
この場合は、どうしても欲しかったのに手に入らなかったものは「仲の良い家族関係」です。
そして、自分がしたいことは「パパとママを笑顔にさせること」です。
これが自分を駆り立てるものなので、それを使って自分の心と体を動かして演じることで素晴らしい演技ができる、という話だったと思います。
にゃー将軍の場合は
この本を読んで、自分の場合はなんだろう?としばし考えることになりました。
「なんで5歳なんだろう?そこに科学的な根拠はあるんかいな?」とか、「みんながみんなそんな劇的なエピソードがあるわけでもあるまいに」、とか思ってなかなか自分のNEEDが見つからなかったのですが、しばらくしてそういえば一応すごい悔しかった思い出があるな、と思い出しました。
それは5歳くらいの頃、文化センターと呼ばれていた場所での思い出です。
なんだったか詳しく覚えていませんが、沢山の子供とその保護者がいて、いつものように遊んでいたら、その時は一人の保護者が子供みんなの為にブローチを作ってきてくれていて、一人一人名前を呼んで呼ばれた子が受け取るような流れになりました。
その保護者の人はすごく器用な人で、ブローチは紙粘土で作った鳥さんの形のものに金色のスプレーで着色してあり、子供の名前がひらがなで書いてあって、鳥さんの首元には蝶ネクタイみたいな感じでリボンが付いているとっても素敵なものでした。
Aくんが呼ばれてブローチを貰って帰ってきて着席して、今度はBちゃんが呼ばれてブローチを受け取って・・と続いて、にゃー将軍も自分の番をとっても楽しみにわくわくして待っておりました。
ところが、まだかな?まだかな?と思っている間に自分以外全員に配り終え、
「これで全員かな?貰ってない子いないよね?」
と言われてしまいました。
にゃー将軍、ショックで激怒し号泣してしまいました。
そして、そんなときに限って母がいないのです(さっきまではいたはずなのに)。
にゃー将軍は幼い頃は引っ込み思案で、もじもじしている性格だったので、こういう場面では母の服を引っ張って、
「まだ貰ってない」
と言えば、母がどうにかしてくれるはずでした。
それなのにお母さんがいない泣泣
ますます悲しくなって、むせび泣いているとさすがに周りの大人が気づいて、
「あ~ごめん、おばちゃん、にゃーちゃんの分おうちに置いてきちゃったみたい! ごめんね~、来週絶対持ってくるからね。」
と言ってくれました。
そして翌週、金ぴかでとっても可愛いブローチを無事手に入れてとっても嬉しかったのですが、先週あまりにも取り乱してしまったのがなんだか気恥ずかしくて、
「あぁ。」
みたいな感じでなんでもない風を装ったような気がします。
そしてそのブローチが、他の子のものより一層気合の入ったクオリティの高いものだったことをにゃー将軍は見逃しませんでした。
「家に忘れたなんて言っていたけど、作ることすら忘れてたんじゃないか。だから気まずい気持ちもあって、より気を使われた仕上がりになっている。」
と思いました。
それで、この経験でにゃー将軍が強烈に感じたのは
「一目置かれる存在になりたい! 重要人物になりたい!」
でした。
家では兄と年が離れていたのもあって、いつも特別扱い、超重要人物扱いをしてもらっていました。
ところが、ひとたびよその子と混ざって、沢山の子供のうちの一人になってしまうと、こうやって存在を忘れられることもあるんだととっても怖くなったのです。
で、この意識っていうのは確かに今のにゃー将軍にも残っていて、一目置かれる為には頑張りたいし、人間関係では自分を重要人物として扱ってくれる人でないと嫌なので、広く浅くではなく狭くてもいいから深い付き合いをしたいと思っています。
にゃー将軍のエピソード弱すぎ?
そもそも5歳かどうかわからないし(7歳か8歳ぐらいの記憶かも)。
本当のNEEDはもしかしたら違うかもしれないけど・・。
ダウンタウン松ちゃんが言っていたこと
ところで、このテーマを何故書こうと思ったかというと、この間たまたまYoutubeで「松本紳助」の会話の一部を聞いたんですよ。
その中で、松ちゃんが
「俺は親から愛されていない。親父は「〇〇(松ちゃんのお兄さん)一人いればそれでええ」と団らんしているときに突然言ったこともあった。」
ということを話していて、にゃー将軍はNEEDの話を思い出したのでした。
その幼い頃の悔しかった思いから、
「お父さん、僕のことも見て!」
というリトル松本人志が頑張って頑張ってここまで上り詰めたんだろうか・・とね。
知らないですよ、ふと思っただけですから。
皆さんも5歳の頃にどうしても欲しかったのに手に入らなかったものはありますか?
それを手に入れる為に絶対に達成したいことがありますか?
なんかみんなのそういうエピソード、聞いてみたいな~と思う今日この頃です。
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