ご覧いただきありがとうございます、にゃー将軍です。
日々、全ての物事に感謝しております。
自分が健康で幸福であること、夫や娘が健康であること、
実家の家族・義実家の家族が健康であること、
着るものがあること、住む家があること、毎日食べるものがあること、
お友達がいること、ブログを読んでくれる方がいること、
自治体・国にも感謝、そして地球にも銀河系にも感謝、
本当にありがとうございます。
ここまで読んでいただいた方で、「なんだこいつは」「はいはい、うるせえな」とか
思われた方もいるんじゃないですかね。
なんか美しくて正しいことをまっすぐな瞳で言っている人を見ると
ヤバさだとかおっかなさを感じませんか?私は感じるんですが。
宗教っていうものに対しても、私はそういう薄ら寒さを感じてしまいます。
私の義両親は新興宗教の熱心な信者なんです。
夫はその宗教について「良いこと言ってる」と考えるライト層です(そんなのあるのか)。
というか、夫は信者なのかどうなのか、信者とそうでない人との境界線は曖昧なんだと思っています。
その夫と結婚した私ももしかしてもう信者としてカウントされてる?とか思ったりもするんですが、はっきりさせるのも怖いような感じでいます。
宗派によっては信者の両親の間に生まれた子供は生まれながらに信者だとか、だからその宗教をやめたいのであれば親子の縁を切る覚悟で、みたいな話も聞いたことがありますが、うちの義両親の信じている宗派はそこんところゆるいみたいです。
私の生まれ育った家庭について少し書きます。
私の実家には仏壇があって、母が毎日お水(酒じゃなくていいのかな?)と炊きたてのご飯をお供えしていました。
それと親戚の月命日にはお線香をあげてお祈りしていたと思います。
父方の祖父母の写真が大きく飾ってあって、私が小学生の頃母方の祖母が亡くなってその写真も追加され、更に数年後には飼っていたインコが死んでしまってその写真も飾られました。
だから死んでしまった存在に語りかける場所という風に思っていました(それが正しいのかな?)
でも基本は母親がやるものであって、私はお祈りをするよう促されたこともないし、’お母さんが手を合わせているから真似っこした’ことはあったもののそんなに興味もありませんでした。
だから自分としては自分は無宗教であるけれど、家に仏壇があるっていうことは仏教寄りの無宗教なんだとなんとなく思っていました。
父には「宗教と関わるな」というのは「借金するな」と合わせて何回か言われたことがあります。
父曰く、親戚で何かの宗教に入れ込んだ人がいて、その人がその宗教関連でお金が必要になり親戚中の家を回ってお金を無心していたことがあったそうで、そういうことになるから宗教はやめておけ、ということだったのだと思います。
だから私も宗教というのは知らず知らずのうちに自分でも払いきれないほどの負債を背負わされる恐ろしいものという認識になっていました。
そんな私ですが、実家を出て一人暮らしを始めたときに、初めての静寂の日々を手に入れたような感覚を味わいました。
実家は常にテレビがついていて、家族もおしゃべりだったのでうるさかったのかもしれませんが、一人暮らしを始めて初めて全くの静寂の中で頭が冴えていてしっかりと物事を感じ取れるような感じがしたのです。
そして、自分一人での生活ではなんだか昨日と今日、そして今日と明日の境目が曖昧でぬるーっと日々が過ぎていってしまうような気もしていました。
そこで、天にいる神様のような、お天道様的存在に、一日の始めか終わりに語り掛けることでメリハリをつけたいとなんとなく考えました。
その時に、あぁ、宗教を信じている人っていうのはこういうときに便利なのかなあと思いました。
それで、どこかの宗教に入るのもめんどくさいので、自分の信じる「なにか強大な力を持っていて、全てがお見通しの神様的存在」にお祈りすることを日課としようと決めました。
ところが、二日目にはもう忘れてしまいました。
’静寂な日々で頭も冴えている’というのが錯覚で、多分初めての一人暮らしに少し興奮していただけで、それに慣れた為日々がぬるーっと過ぎていってしまうことにも特にどうとも思わなくなっていました。
それから何年も経って、夫を通して義両親と知り合って、熱心な宗教の信者というのを初めて目の当たりにしました。
最初は本当やべえ人たちじゃん、まじで祈っちゃってんじゃん、そしてなんの会話をしても「○○(その新興宗教の名前)の教えにもあるけどね・・」と宗教の話にもっていかれるので、この人たち本当に宗教のことしか考えてないじゃんとドン引いてしまいました。
そして父から言われていたこともあって、いつこの人たちは私をその宗教に入れようとしてくるんだろうだとか、どういう形でお布施を払わせられそうになるんだろうかとか、ものすごく身構えていました。
でも意外と面倒ごとに巻き込まれることもなく、平和に4年ぐらいが過ぎて今に至ります。
義両親は最初こそ宗教の話ばかりするので引きましたが、それ以外はいたって真っ当で普通の優しいおじいちゃんおばあちゃんなので、だんだん仲良くなりました。
その義両親がとにかく「感謝をしなさい」と言うんですよ。
義母は「一日にありがとうを1万回言えばガンさえ治る!」とか言うんです。
なんかそういうのはいまだにやっぱり嫌なんですけどね、なんか気持ち悪くて。
ガンで亡くなった人が感謝の気持ちがなかったみたいにもとれるじゃないですか、そんなの失礼じゃないですか。
ただ、周りの物事に感謝の気持ちを持つこと自体は素敵なことだと思うようになったんです。
一つきっかけもありました。
私が健康診断で乳がん疑いで再検査になったんです。
もうすごく不安で。今ガンになって例えばあと数年とかで死んじゃうのは嫌すぎると思いました。
今私が死んだらチャプちゃんはどうなっちゃうんだろうと。
その時に、義両親に「絶対大丈夫だから、ありがとうと何度でも心の中でも声に出してでも唱えなさい」と言われて、検査の結果が出るまで本当にずっとありがとうございますと念じていました。
結果はがんではありませんでした。
がんが「ありがとうの力」でなくなったなんて思ってないですよ。元からがんじゃなかったんだと思います。
でも本当に不安でできることが何もないように感じるときにだって、「ありがとう」と言うことはできるんだな、とか思ったんですよね。
朝まだ寝ていたいときにチャプちゃんの泣き声でたたき起こされて、
それから怒涛のチャプちゃんのお世話で疲れて一日が終わる。
でもこうやってクタクタになることも、わからないことだらけで右往左往することも、
すごいありがたいことだな、と本当に心から思います。
だから、私はいまだに無宗教だと思いますが、感謝の気持ちは持ち続けたいと思っている次第であります。
終わり