こんにちは、2歳の愛娘チャプちゃんの育児奮闘中のにゃー将軍です。
この間観た、高須幹弥先生の動画が印象的だったので、それを観た上で考えたことなどを綴ろうと思います。
↑動画はこちら。
にゃー将軍の記憶に残ったところだけをピックアップすると
・日本には寝たきり老人が200万人ぐらいいると言われている
(この場合の寝たきり老人というのは、意識がほとんどなくもう話すことはできず、自分で食事も排泄もできず、医療機器によって生かされている状態の人のこと)
・欧米にはそのような人はほぼいない
・欧米では寝たきり老人として生きながらえさせることは虐待と捉えられる場合が多い
・日本では医療を尽くせば生存状態をキープできる人の医療を打ち切ることは可哀想と捉えられる場合が多い
・寝たきり老人の実態を知れば、「自分だったらそんな状態になってまで生き続けたくはない」と思う日本人も多くいそうだが、日本ではそういう状態になることだったり死ぬことについてあらかじめ話すことはタブーな雰囲気があって、元気なうちに話すことがあまりないので、実際にはそういう状況になってから親族がどうするか判断を迫られることになってしまう
・「良くなる見込みがない寝たきり状態になったときには、治療をせず自然に任せてほしい」というようなことを元気なうちに書き残しておくことをリビングウィルと言うそうで、そういうものを書くことや考えることがもっと一般的になればいいのに
というようなことを語っておられました。(他にも興味深いことが語られていたので、気になる方は動画をどうぞ)
にゃー将軍も、もし意識がなく、人工呼吸器につながれて、胃ろうで栄養を摂るような状態になったとしたら、「もういいよ、逝かせてくれ」と思うんじゃないかなぁと思いました。
やっぱり肝心なことは
・意識があるか
・回復の見込みがあるか
かなぁと思っています。
意識がなくて、もう戻る見込みもないなら、もうそれはにゃー将軍の場合死んだとカウントしてくれていいよ、ということを書き遺しておきたいなぁ。
にゃー将軍は免許証の裏面の「脳死になった場合」ってやつも、目玉とか臓器を誰かの役に立ててくださいっていうのに〇をしています。
ちなみに脳死と植物状態というのは違うそうで、脳死は回復することはなく、植物状態は回復する可能性もあるそうです。
実際に親族が寝たきり状態になったことがないので、にゃー将軍はよくわからないのですが、「回復の見込みはない」とお医者さんから言われたとしても、例えば「目が合っているように感じる」とか「何かを訴えているように感じる」ことがあれば治療を打ち切るのに罪悪感を感じそうな気はします。
もしかしたら「こんな状態は辛い、早く治療を打ち切ってくれ」と本人は思っているのに、「あぁ、お父さん何か訴えてるわ、きっともっと生きていたいのね…!」と思われたりすることもあるのかなぁ。
色々と人それぞれ考えはあると思いますが、「自分はこうして欲しい」ということを言ったり紙に書いておくと、誰かがその決断を下すときに少し楽になれるかもしれません。
ちなみににゃー将軍の義母は一度危篤状態になったことがあるそうで、その時のことを
「すごく気持ちよくてふわふわして、あぁ死ぬっていうのはこんなに気分のいいものなんだなあと思ったのよ。だから死ぬことは全然怖くないし、やり残したこともないから、延命治療なんてしなくていいわよ。」
とよく言っています。
今後どうなっていくのかわかりませんが、こういうことを常々言われていると、基本の方針はそういう感じでいいのかな、と思っています。
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